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2008年02月10日

中国製ギョーザ中毒事件

食べ物が心配私はまだ、このブログの中の生活では、小学校から中学校への春休みの真っ最中です。


現実には、「食の安全」が脅かされ、これだけテレビ・新聞と毎日報じられているにも拘らず、あたかも他人事のように、この問題が起きる前、後とに自覚の差がないのはどうしてでしょう。


みなさんはいかがですか。神経質になっていらっしゃいますか。


私はまだ甘いのでしょうか。


人為的な毒物混入?などと言われますと、「性善説」「性悪説」に思いをはせずにいられませんね。


欧米始め主要国が「性悪説」なのに対して日本は「性善説」であったと思います。


国際標準化機構・ISOが、性悪説に基づいた各種の基準をクリアして、その認定を付すことに対し、「ISOは日本に馴染まない」との論も出ました。


例えば毒物を扱う部署の部下が一人でも残業した場合、鍵を管理するその部の長はその都度、部下の残業が終わって後、施錠してから退所しなければならず、度重なる残業を強いられるのです。


このようなことから、どちらかといえば私も「日本には馴染まない」という考えに賛成だったのですが、こんにちのこの有りさまでは、「性悪説」ISOを受け入れざるを得ないのでしょうか。


他人(ヒト)を信じられないというのは悲しいことではありますが、身を守るためには仕方ないということですね。  


Posted by asthma女王 at 09:05Comments(2)ニュース

2008年02月06日

最後の家族旅行

木星号墜落← 木星号墜落(クリック・拡大)


小学校を卒業し、4月からは中学校です。


小学校から中学に替るといっても、通う中学は今まで通っていた小学校のすぐ隣りにありました。


だから、殊更改まって通学生活に変わりがないことは分っていますので、心配することも緊張することもありません。


喘息の発作だけが心配で新学期を迎えようとしていた春休み、私たちは家族で大阪・京都に旅行に行きました。


大阪城・嵐山などごく一般的なありふれた観光地を廻りました。


半世紀以上前のことで、強く印象に残ってることはありませんが、父が突然帰路の交通に飛行機を選びました。


新聞に「板付往来」といって、その日板付を発着した著名人を毎日記事にしていた頃ですから、家族旅行の子供が乗るなどというのは、今とは違ってきわめて稀なことでした。


このときの父親の気持と、この年の10月に起るある出来事、これこそが、私の 喘息の治癒 の引鉄になろうとは、機上で考えてなどいなかったことはいうまでもありません。


このとき、航空券発行所では、おねえさんが私の歳を訊き、一つ下ということで子供料金にされては?と勧めてくれ、そのようにしてもらったことを覚えています。


私たちが乗ったのは火曜日でしたが、当時、大阪~福岡間の飛行機には曜日の星の名前がついていましたので、「火星号」に乗ったことになります。


2日後の木星号が墜落事故を起こした記憶をお持ちの方もいらっしゃることでしょう。


2日の後先が違っていたら、はたして私たちはそれでも飛行機に乗ったでしょうか。

  


Posted by asthma女王 at 09:30Comments(0)喘息

2008年02月05日

最終学年の自覚もなく

来年は中学生6年生の成績を見てみますと、欠席が60日と、前年より一割以上は少なくなりましたが、まだまだ目覚しい改善とはいえません。


ここで注意深く見なおしてみますと、前年までにはまったくなかった、“遅刻”が相当数現れています。


これは、前年までは通常休んでいたような状態の日でも、この年は遅刻して登校した、ということだろうと思います。


この状態は二通りに考えられます。


一つは、以前より喘息の発作の程度が弱まったので、朝のうち少し時間をかけ確かめて登校した。


一つは、発作の程度は変わらないが、朝のうちは酷くても昼になると治まってくることが分っているから、少々時間をずらしながら無理をして登校した。


或いはその二つが重なったのかもしれません。


当時の小学校では、朝、授業の前には皆で掃除をしていたと思います。


私はその時間を度々、先生やクラスメイトの(弱者に対する)好意によりサボらせてもらっていました。


ただこの年は例年のように、10・11月にガクンと落込むのではなく、春先からポツポツと休んでいるのが、今見直して気になっています。


来年はいよいよ中学、甘えも今まで通りには許されなくなることと思えば、またしても不安を背負い込む状況ですが、今振り返ってみるとそんな不安や決意を持っていたとはどうしても思えません。


むしろ、当時の想い・悩みなどが思い浮かばないのです。  


Posted by asthma女王 at 14:11Comments(2)喘息

2008年02月03日

学校では有名になりました

二学期が怖い昭和20年代の小学校といえば、1クラスは50人を超えていました。


私の通った小学校は一学年4クラスでしたから、全校生徒は1200人以上だった計算になります。


そんななかで、欠席が極端に多い私は同学年のみならず上の学年、下の学年を問わず「欠席児童」として不名誉な有名学童となっていました。


5年生になっても、最悪の欠席日数となった前年からの改善はまったくなく、昨年の焼き直しを見ているような一年でした。 5年生


発作の起きない時期は人一倍元気ともいえる子供で、発作の起きた症状を知らない人たちからは、それこそ朝青龍の我儘病と思われていたかもしれません。


この時代には、運動会は軒並み10月の行事と決っていて、その時期が発作の頂点である私にとってまったく無縁のものとなっていました。


小学校最後の学年を次の年にひかえ、不安から抜け出せない一年でもありました。  


Posted by asthma女王 at 10:00Comments(0)喘息

2008年02月01日

またため息が

絶望3年生では、1年より2年とやや改善されたかに見みえた、喘息の発作の回数も横ばいとなり、年々改善とは行きませんでした。


今年こそは、と思って進学した4年生でしたが、期待を裏切られるどころか、予想外のショックに見舞われる結果となりました。


ここでお分かりのとおり、ついに欠席日数は1年のときのちょうど倍の日数、76日を記録してしまいました。


一度よくなりかけたのが元に戻るどころか、もっと悪くなる、というのは本当に辛いものがあります。


通信簿を見てみると、ついに11月の出席日数はゼロです。

    よく見ると、10月の出席日数8日は、どうやら2日の誤りのようです。  


Posted by asthma女王 at 09:20Comments(0)喘息

2008年01月31日

3年に進学してはみたものの

希望がない2年になって、少しではありますが、1年のときより学校を休まなければならない日は少なくなりました。


この調子で行けばと両親も期待を持ったことでしょう。


でも、思惑通りにことは運びませんでした。


3年生の結果はここにあるとおり、2年生の時とまったく同じ日数、欠席を重ねたのです。


人並みの生活をするのは無理なんじゃないか、というようなことも親は考えていたかもしれません。


学年が上がっていけば、“身体”のことばかりでなく“勉強”ということにも意を注がねばなりません。


病気(喘息)の治療ということに対して“焦り”の気持がだんだん大きくなってきたのではないでしょうか。


でも、明日は否応なしに4年に進学しなければなりません。


当時、小学校でも、2/3の出席日数がなければ進学できない、というようなことも“噂”として耳に入っていました。


そんな数字をも意識せずにはいられない状況でした。  


Posted by asthma女王 at 09:00Comments(0)喘息

2008年01月29日

3年に進学する前にちょっと寄り道

アレルギーは抗菌、抗菌で半年暮すじゃありませんが、近頃あまり神経質になりすぎていないかと警鐘を鳴らす人がいます。


それは、東京医科歯科大学名誉教授の藤田紘一郎で、週刊新潮2007.12.20によりますと、免疫力の元になる腸内細菌が減って、近年生まれてくる子供の4割以上が、アトピーや喘息を抱えているばかりでなく、成人は癌などの病気になりやすいと言っています。


そういえば、近頃はいなくなった寄生虫の呼び戻しを提唱している医者もでてきていました。


抗菌なんてやめましょう  


Posted by asthma女王 at 09:09Comments(1)喘息

2008年01月28日

2年生になりました

進学私も進学し、2年生になりました。


喘息発作の状況は、少しは改善されたでしょうか。


2年生の通信簿はここにあります。


これで分るとおり、欠席日数は29日ですから、1年生の時より9日少なく、少しは発作の回数も少なくなったかに思えます。


前にも書きましたが、50年以上も前のことで、今となっては当時の苦しみを身をもっては思い出せませんが、病院で医者と対面することがしょっちゅうだった記憶だけは何とか頭にあるといった状況です。


親たちも、子供の病状に毎日ビクビク・ヒヤヒヤしながら夜を迎えていたことでしょう。  


Posted by asthma女王 at 09:09Comments(0)喘息

2008年01月27日

悪いほうへ心が動く

明日はアメリカ・キリスト教の宗教家であるJ.E.アディントンは、「汝祈るとき、すでに受けたりと信ぜよ、すなわち汝はそれを得ん」と言っていますし、潜在意識の力を説いたJ.マーフィーは、健康な姿を思い浮かべて生活することが治癒に効果がある唯一無二の手段であると語ってもいます。


小学校時代、もちろんこのような心の持ち方など知る由もなく、ただただ喘息の発作の恐怖におびえながら毎日を過ごしていたと思います。


おそらく親も、夜な夜な子供の明日朝の病状を心配しながら、眠りについていたことでしょう。


今考えると、そのような心の持ち方で病気が治らなかったのは当然のことだったんでしょう。


他人(ヒト)の思いも伝わりますから、親が思うことを子供は引寄せます。


でも、本当に心が落込んでいる時に“よい状態”を思い浮かべられるものでしょうか?


よいことを思うよりも、もっと悪くなったらどうしよう、と最悪の事態に至る方向へ心を引きずるんじゃないでしょうか。


前にも書きましたとおり、治癒してしまった現在、過去は懐かしいだけのもので、実感としての苦しみの思いではなくなってしまっていますが、当時の“想い”が治癒の邪魔をしていたことは明らかです。


絶望的な中で、どうしたらよい状態(健康)な自分を想像することができるのか。


それは暫く後回しにして、明日からは2年生に進みましょう。  


Posted by asthma女王 at 09:09Comments(1)喘息

2008年01月26日

厄払い・節分

厄払い喘息の発作が猛威を振るう冬場は、私のもっとも苦手な季節で、節分・厄払いなどトンと縁遠い行事でした。


昔、節分・厄払いの口上は、


「ああら、めでたいなめでたいな 今晩こよいのご祝儀に、めでたきことにて払おうなら、


まず一夜あければ元朝の、かどに松竹しめ飾り、床にだいだい鏡餅、蓬莱山に舞い遊ぶ、、


鶴は千年、亀は万年、東方朔は八千歳、浦島太郎は三千年、三浦の大介百六つ、この三長年が集まりて、


酒盛りいたす折からに、悪魔外道がとんで出て、さまたげなさんとするところを、この厄払いがつかみ、


西の海へと思えども、蓬莱山のことなれば、須弥山のほうへさらり、さらり



というのだそうです。  


Posted by asthma女王 at 10:10Comments(0)喘息

2008年01月24日

既に受けたりと信ぜよ

祈りの時「汝祈るとき、すでに受けたりと信ぜよ、乃ち汝はそれを得ん」 という言葉がありますが、小学一年生の私は喘息の治癒を祈ったのでしょうか。


昨日書いたように、病気についての当時の記憶はあまりないんです。


1月には月の半分も休んでいるのにです。


特に、祈りに関する記憶などどう探しても出てきません。


たぶん自分の病気のことさえも、親の祈りに任せてしまっていたのでしょう。


親に頼りきって何とかなると考えていたのか、慢性化する発作に諦めきっていたのか、自分の心境を思い出すことはできません。


たぶん、純粋培養のビーカーの中で弱々しく泳いでいたに過ぎなかったのでしょう。  


Posted by asthma女王 at 09:07Comments(0)喘息

2008年01月23日

小学1年生の学校生活

あの頃はみなさんは小学校1年生の時の記憶がありますか?


まだ若い人はもちろん沢山の思い出が胸に浮かぶことでしょう。


歳を取っている私が思い出せないのは当然かもしれません、なにせ昭和21年のことですから。


昔の思い出を振り返るようになったのはいつの頃かも忘れましたが、まだ若かったであろうその時には何か思い出していたのかも分りません。


そしてその思い出したことを、今は忘れているのかもしれません。


喘息の真っ只中にいたんですから、苦しかった何かを覚えているはずなのに、その苦しさの記憶がない。


以前、「過去は変えられないが、未来は変えられる」は嘘、「過去は変えられるが、未来は変えられない」が真実という話を書いたことと思います。


今病気が治ってみると、辛かったことも懐かしい思い出となって、苦しみを忘れてしまっているんです。


つまり、過去が変わるんです。だから(はっきりと)覚えていない、ということになるんです。


過去を変えられる未来の自分を思い描いて、今を生きられれば、やがて治癒の思いも遂げられるのですが。  


Posted by asthma女王 at 09:08Comments(0)喘息

2008年01月22日

己を知る(知らせる)、第一日

小学校に入学私は小学校に入る前から所謂体が弱く、親は本気で入学を1年遅らせようかと考えていたようです。


終戦直後の学校事情は、学齢に対する考え方も今とは大いに異なり、年末の誕生を翌年に届けたりすることの延長みたいに、1~3月生れの子を翌年に入学をずらしたりしていたようです。


病気がちの私は幼稚園には行っていませんでしたので、一層親は学校生活に不安を抱いていたようです。


そんな不安の中入学した私は、それでも何とか年末近くまではまあ一般の学童並の生活をしていたようですが、寒さが厳しくなったと思われる12月になるととうとう7日も休んでしまっています。


すると後はバタバタと、とくに正月休みで気の緩んだ残りの1月は、出席日数を上回って休んでいます。


古ぼけて見にくくなっていますが、小学1年の私の“通信簿”をお見せしましょう。


パソコン上で修正した個所は、学校名・私の氏名・評価のみです。


よく見ると、


10月: 2日、 11月: 1日、 12月: 7日、 1月:14日、 2月: 9日、 3月: 5日、 計 38日


休んでいるのが分ります。


これから2年・3年と私の喘息はどうなるのか、1年ずつ順を追って明日からお話しましょう。  


Posted by asthma女王 at 09:09Comments(0)喘息

2008年01月19日

怠け癖が・・・

今年は何とか昨年は約三ヶ月間、喘息・アレルギーに関係有ることないこと、思いつくままアトランダムに発信してきました。


今年は少々系統立ててと、正月休み中には考えもしましたが、「いい加減な人ほど病気が治る不思議な法則」の内容におもねって「止めないこと」第一に、昨年と同じ「気楽」なスタンスで発信し続けようと思います。


ただし今年は、みなさんが私と同じ環境を得て喘息・アレルギーの完治(或いは、90%の抑制)は成し遂げられない、ということを踏まえながら、少しでも私に近い、或いは私以上の環境(90%は精神面、考え方の環境)を何とかして掴むことのヒントがもっと沢山発信できたら、と思っています。  


Posted by asthma女王 at 16:45Comments(1)喘息

2007年12月28日

いよいよ今年もあと3日です。

あと3日今年中にしてしまわなければならないことの多さに、うんざり、気弱になっていませんか。


ここまでくればもう、なるようにしかなりません。

気楽にいきましょう。  


Posted by asthma女王 at 23:58Comments(1)喘息

2007年12月27日

がんばらないけど あきらめない

がんばる以前、「いい加減な人ほど病気が治る不思議な法則」を紹介して、リミッターでがんばるより、トータル・バランサーで治療を続ける効用を書きましたが、似たような趣旨で鎌田實も「週刊朝日で「がんばらないけど あきらめない」という連載をしています。


その鎌田實によりますと、日本の医療用のモルヒネの使用量は、カナダの10分の1、アメリカやフランスの6分の1なんだそうです。


ある意味、それだけ日本人は我慢させられ、がんばらされているわけですね。


痛みといえば、命に係わらなくて大変ありがたいのですが、昔に較べ大分楽になったとはいえ、歯医者での音の恐怖を伴う痛みはやはり苦痛ですよね。


生命に関係ない“歯”のことを話したら、歯科医に、「人間は、歯が悪いくらいで命をなくすことがないからありがたいが、ライオンなどは歯が悪くなると、狩猟もできないから即、死が待っているんですよ」と言われてしまいました。  


Posted by asthma女王 at 09:16Comments(1)喘息

2007年12月26日

私の私の彼は、左利き

僕は左利き一芸に秀でたるものは万芸に秀でる、といわれます。


それは、一芸に秀でることで、その才能が褒めたたえられることにより、その他のあらゆる才能が伸びだすからです。


一流のスポーツ選手、例えばプロ野球を例にとって、左利きの選手の割合はどのくらいでしょう。


左利きでないのに左打ちの選手もいますから、見かけより少し割り引いて2割くらいでしょうか。


もっと控え目に見て、1割が左利きだとしましょうか。


ここでみなさんの友人・知人を考えて下さい。


左利きの人がそのなかに1割もいますか?


きっといないと思います。これは左利きの人に野球の才のある人が多いということでしょうか。


私はこう思います。生まれつき左利きの人は2割以上いるのではないか。


これを右利きに直す親が多いのです。


直された人は才能が伸ばされず、普通の人として過ごすことになる。一方、矯正されなかった人はそのまま才能を伸ばし一流の地位を得る。


こういうことにより、普通人と一流とのグループ内での左利きの割合に差が出るのではないか。


親をはじめ、左利きを褒めるどころか、悪いものとして矯正するため、才能を殺しかねないのだと。  


Posted by asthma女王 at 09:15Comments(1)喘息

2007年12月25日

見舞いに来てくれても煩わしいばかりだ

煩わしい義理やお追従で見舞いに来てくれてもちっともありがたくない、むしろ煩わしいばかりだと思うことはないでしょうか。


病気で心が沈んでいるのに、見舞い客にまで気を使わされて、一層落込んでしまう。


弱気になっているときは、こんなふうに考えるのも無理ないかもしれません。


でも、何度も言うとおり「病は気から」で、病気の原因は“心”にあります。


一般的に言って、暗い想念、つまりは人を恨んだり、憎んだり、悲しんだりする心が、肉体の病を生み出すのです。


見舞いにも、義理やお追従で来てくれる人はその人たちなりに、気を使ってくれているのですから、見舞われている病人は、その表面上の温かい心の部分だけを受取るようにすればいいんです。


病気を摑まえてばかりいて、「この病気はどうして早く良くならないのか」と思って暗い心にならずに、「心が肉体に表れた病はやがて治る」と、感謝と明るい心を持つ生活を心掛けましょう。  


Posted by asthma女王 at 10:10Comments(0)喘息

2007年12月24日

お見舞い品には気をつけよう

お見舞い私は小さい頃、喘息が酷かったといっても、他の病気も含めてまったく入院の経験がありません。


だから、お見舞いに行くのもとても苦手です。


お見舞い品として、鉢植えを“寝付く(根付く)といって嫌われることくらいは知っていました。


本人はもとより、アレルギーの同室者がいないとも限らないので、お見舞いといえばまず思いつく“花束”も少し注意しましょう、とある本にありました。


入院している人って、お見舞いに来てくれるのは本当に嬉しいんでしょうか。


本当に会いたい人はともかく、儀礼的な人にはこちらが気を使わなければならないし。


見舞うほうも、ほんとは行きたくなくとも儀礼で行かなきゃという人もいましょう。


なかなか儘なりません。  


Posted by asthma女王 at 20:21Comments(2)喘息

2007年12月23日

母原病三たび

佐世保の銃乱射はこのブログの最初のころ紹介しました、「母原病」に書かれていますことは、「現在ではその説はほとんど事実上の説得力を持たなくなっている」というのが一般的な評価です。


「母原病」においては、母親のみの影響力が追求され、例えば父子家庭における子どもが必ず「母原病」に罹るのだろうかという不条理などに疑問が生じたからです。


確かにこの著では、母親に特化した責任の所在が追及されたがために、母親攻撃の誤解を招いたり、父親参加の育児に移行する一般世情との乖離から、疎んぜられ始めたのはよく分ります。


ただし、母親(女)・父親(男)の、子どもに対する接し方は、やはり動物として違っているのではないでしょうか。


母親は身を痛めての分身ですから、父親の、一種ペットを可愛がる愛情とは違った愛情があるのではないでしょうか。


ところが現在は、母親がその分離不可避の愛情をもてなくなったり、ペットに対して自分の子どもと同種・同等の愛情を持ったりという、捩れが出てきているのではないでしょうか。


佐世保のスポーツジム事件では、まだ犯人の家庭環境に関する部分まで解析が十分なされていませんが、やがてこの部分から三たび、「母原病」に書かれていたことが思い起こされることになるのではないかと思うのですが。


今回の事件について、母原病の原点に立ち返らされるような分析がなされるのではないかと、見守っています。  


Posted by asthma女王 at 23:23Comments(2)喘息