2008年02月06日
最後の家族旅行
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小学校を卒業し、4月からは中学校です。
小学校から中学に替るといっても、通う中学は今まで通っていた小学校のすぐ隣りにありました。
だから、殊更改まって通学生活に変わりがないことは分っていますので、心配することも緊張することもありません。
喘息の発作だけが心配で新学期を迎えようとしていた春休み、私たちは家族で大阪・京都に旅行に行きました。
大阪城・嵐山などごく一般的なありふれた観光地を廻りました。
半世紀以上前のことで、強く印象に残ってることはありませんが、父が突然帰路の交通に飛行機を選びました。
新聞に「板付往来」といって、その日板付を発着した著名人を毎日記事にしていた頃ですから、家族旅行の子供が乗るなどというのは、今とは違ってきわめて稀なことでした。
このときの父親の気持と、この年の10月に起るある出来事、これこそが、私の 喘息の治癒 の引鉄になろうとは、機上で考えてなどいなかったことはいうまでもありません。
このとき、航空券発行所では、おねえさんが私の歳を訊き、一つ下ということで子供料金にされては?と勧めてくれ、そのようにしてもらったことを覚えています。
私たちが乗ったのは火曜日でしたが、当時、大阪~福岡間の飛行機には曜日の星の名前がついていましたので、「火星号」に乗ったことになります。
2日後の木星号が墜落事故を起こした記憶をお持ちの方もいらっしゃることでしょう。
2日の後先が違っていたら、はたして私たちはそれでも飛行機に乗ったでしょうか。
小学校を卒業し、4月からは中学校です。
小学校から中学に替るといっても、通う中学は今まで通っていた小学校のすぐ隣りにありました。
だから、殊更改まって通学生活に変わりがないことは分っていますので、心配することも緊張することもありません。
喘息の発作だけが心配で新学期を迎えようとしていた春休み、私たちは家族で大阪・京都に旅行に行きました。
大阪城・嵐山などごく一般的なありふれた観光地を廻りました。
半世紀以上前のことで、強く印象に残ってることはありませんが、父が突然帰路の交通に飛行機を選びました。
新聞に「板付往来」といって、その日板付を発着した著名人を毎日記事にしていた頃ですから、家族旅行の子供が乗るなどというのは、今とは違ってきわめて稀なことでした。
このときの父親の気持と、この年の10月に起るある出来事、これこそが、私の 喘息の治癒 の引鉄になろうとは、機上で考えてなどいなかったことはいうまでもありません。
このとき、航空券発行所では、おねえさんが私の歳を訊き、一つ下ということで子供料金にされては?と勧めてくれ、そのようにしてもらったことを覚えています。
私たちが乗ったのは火曜日でしたが、当時、大阪~福岡間の飛行機には曜日の星の名前がついていましたので、「火星号」に乗ったことになります。
2日後の木星号が墜落事故を起こした記憶をお持ちの方もいらっしゃることでしょう。
2日の後先が違っていたら、はたして私たちはそれでも飛行機に乗ったでしょうか。
Posted by asthma女王 at 09:30│Comments(0)
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